80年ぶりの裏に
2012年 01月 25日
「佐藤次郎以来80年ぶり、
錦織 全豪オープンベスト4ならず」
今朝のスポーツ新聞の記事ですが
この佐藤次郎さんが 群馬県子持村生まれだった
同じ群馬県民として誇りに感じ調べてみた
佐藤次郎(さとうじろう)1908~1934 旧子持村(現渋川市)生まれ
早大在学中からテニス日本代表として世界の舞台で活躍
1932年全豪でベスト4、ウインブルドンでも同年と1933年の2年連続でベスト4世界ランク3位までも上り詰めた
四大大会5度のベスト4と世界ランク3位は
日本人選手として今なお歴代最高の成績となっている
すごい人なんだ~
でもちょっとまった!
1933年のウインブルドンでベスト4の2年後
1934年に亡くなっている
実は1934年デビスカップ日本代表主将として
「箱根丸」でヨーロッパ遠征に出発
その帰途にてマラッカ海峡で投身自殺を遂げていた
佐藤次郎はテニスについて「庭球は人を生かす戦争だ」という持論を語っていたそうでこのような考え方は1030年代の日本人の大半が持っていたのでは?
きっと勝てない自分を追い込んでしまったのであろう
「80年ぶり・・・」の裏に
こんな話があったなんて・・・
HPはコチラから
錦織 全豪オープンベスト4ならず」
今朝のスポーツ新聞の記事ですが
この佐藤次郎さんが 群馬県子持村生まれだった
同じ群馬県民として誇りに感じ調べてみた
佐藤次郎(さとうじろう)1908~1934 旧子持村(現渋川市)生まれ
早大在学中からテニス日本代表として世界の舞台で活躍
1932年全豪でベスト4、ウインブルドンでも同年と1933年の2年連続でベスト4世界ランク3位までも上り詰めた
四大大会5度のベスト4と世界ランク3位は
日本人選手として今なお歴代最高の成績となっている
すごい人なんだ~
でもちょっとまった!
1933年のウインブルドンでベスト4の2年後
1934年に亡くなっている
実は1934年デビスカップ日本代表主将として
「箱根丸」でヨーロッパ遠征に出発
その帰途にてマラッカ海峡で投身自殺を遂げていた
佐藤次郎はテニスについて「庭球は人を生かす戦争だ」という持論を語っていたそうでこのような考え方は1030年代の日本人の大半が持っていたのでは?
きっと勝てない自分を追い込んでしまったのであろう
「80年ぶり・・・」の裏に
こんな話があったなんて・・・
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by ahaki89
| 2012-01-25 15:47
| Free